秋の陽ざしがまぶしい東京ディズニーシーに
道路は思っているよりもすいていました。そして、東京ディズニーシーも比較的すいています。
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ヴィランズ一色のハロウィーン。
空は澄み渡っていました。
センター・オブ・ジ・アースの出口に書かれている「人生は 素晴らしき 冒険旅行」は、好きな言葉です。
タワー・オブ・テラー。
インディ・ジョーンズ、アクアトピア・・・、精一杯楽しんできました。
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道路は思っているよりもすいていました。そして、東京ディズニーシーも比較的すいています。
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ヴィランズ一色のハロウィーン。
空は澄み渡っていました。
センター・オブ・ジ・アースの出口に書かれている「人生は 素晴らしき 冒険旅行」は、好きな言葉です。
タワー・オブ・テラー。
インディ・ジョーンズ、アクアトピア・・・、精一杯楽しんできました。
穏やかな日です。
川の水を引き込んだ水溜りに、二羽のコサギがいました。
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土手のキク科の花に、モンキチョウと、
タテハチョウの仲間、アカタテハチョウです。
雨雲は朝早く遠のいて、曇りから青空も見えてきました。
庄戸中学校コミュニティハウスは、今週の土日、秋の文化祭です。
庄戸中学校コミュニティハウスの図書室で、講演をおこないました。
タイトルは、「見て楽しみ、聴いて楽しむ 懐かしの真空管ラジオのお話」です。
館長様お持ちの、懐かしいABBA、CARPENTERS、サイモンとガーファンクルなどのPレコードを飾っていただき、雰囲気も盛り上がりました。
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真空管ラジオの裏蓋を開けて、電源を入れると、ほんのりと真空管が明るくなります。
前に回ってつまみで放送局を選局して同調すると、マジックアイの一面が緑色になったり、
スマホにつないだAMトランスミッターから、カーペンターズのスーパースター、アバのダンシング・クイーン、異邦人などを発信して、真空管ラジオで聴いてみたりしました。
助手の次男の手助けは、有難いです。
ご参加していただいた方々、
講演に際して、この機会を作っていただいた米原館長様、スタッフの大西様、ご案内をしていただいた経営支援NPOクラブ三島様、AMトランスミッターを教えていただいた自由が丘ラジオプラント奥田様、真空管ラジオの修理をしていただいた佐々木様、工藤様、嶋村様、大変お世話になりました。感謝しています。ありがとうございました。
風も無く、穏やかです。
木々が色づき出しています。
釣り糸が連なって。
カルガモ。
越冬する鳥が、池の真ん中辺りに集まっていました。
穏やかな日和です。
首都高速から圏央道に入るレーンに車が多く、混雑していました。
関越道のサービスエリアで休憩した時に、その訳が分かりました。
バスの団体が溢れていて、秋の行楽シーズンになっていたのです。
花園農産物直売所です。地元産の野菜、くだものがたくさん。
月に一度ぐらいの間隔で来ていますが、秋の花が増えています。
プランター用にベゴニア、シクラメンを買い。
植木園で、背丈のあるイロハモミジを探していました。庭に植えたいと思っています。
シャラも一緒に。共に、赤い紅葉がきれいです。
秋晴れ。川向こうの河川敷は川口市のゴルフ場です。
水辺を風が少し流れていました。
新荒川大橋から、建物の間に富士山が望めました。
今は、午前9時頃。グランドで野球。
桟橋では、釣り糸を垂らして。
染井吉野の並木道に、葉の色づきが少しづつ。
赤羽八幡神社の七五三祝祭は、11月4日(日) ・11日(日) 午前10時から午後3時まで行われます。
当日は予約なしで、お申込み順に本堂の右手で受け付けます。
徒歩の方は、右手 埼京線のガードの下を進むと階段があります。
自動車と乳母車の方は、左手の坂を上がってください。駐車場は、坂を上がった本堂の前にあり、約10台位駐車できます。
この日以外は随時受け付けています。赤羽八幡神社社務所に申し込んでください。
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みんな揃って記念撮影です。
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来る平成30年10月27日 (土) 午後1時から2時まで、
横浜市栄区庄戸中学校コミュニティハウスで行う、
「見て楽しみ、聴いて楽しむ 懐かしの真空管ラジオのお話」の準備をしていました。
持参する修理した真空管ラジオは、国産が7台、アメリカ製が6台です。
どれもデザインが気に入っているもので、クリアーな音が聴けます。
真空管ラジオで、放送を聴くだけではなく、スマホなどに録音した曲を流して楽しみたいと、考えていました。
AM ( 中波 ) トランスミッターを製作しました。
アンテナはループ状に、微弱な電波を強くしました。
周波数は560KHzdeで、NHK第一放送の少し下です。
トランスミッターといえば音がきれいなFM用が主流ですが、真空管ラジオが現役の時代は、中波、短波の放送がほとんどでした。
曇り空に、時折薄日が差していました。
現在、古い民家の再生をしていますので、規模は違っても参考になることがあるのではと、出掛けました。
JR.「大宮」駅から、ニューシャトルに乗って「羽貫」駅で下車。徒歩15分とのことですが、少しオーバーして。
今日は道に迷うことはありませんでした。
郊外の住宅と畑の中を歩いて、この辺かなと見ながら、入り口の看板です。
大きな敷地の中に、母屋。
ここは、NHKテレビ「ふるカフェ系 ハルさんの休日」で、放送されていました。
入り口は、母屋の少し先の井戸の横から。
お昼ちょっと前です。店内は女性客でいっぱいです。
豚しゃぶと豆腐のサラダうどんと、コーヒーをいただきました。
会計をする時に、お店の方と少し話を伺いました。気持ちのいい対応でした。
庭を見て。臨時の駐車場もあります。
帰りは、「伊奈中央」駅に向かいました。
1月半掛かって、じゅうたんのクリーニングが終わり、戻ってきました。
居間に敷き詰めると、趣が増して、落ち着いた雰囲気になりました。
この部屋の、飾り棚、テーブル、イス、そしてじゅうたんも頂き物です。
古い民家の再生・リフォームで、多くの方々のご厚意を受けていました。
大切に使わせていただきます。ありがとうございました。
今日も荒川に。
うららかな日です。
新荒川大橋近くの花壇です。
セセリチョウ。
良く見るとジェット機のような羽をしていますが、近場をちょこちょこと飛びます。
シジミチョウ。
青空に雲が低く漂っていました。荒川赤羽桜堤緑地、ソメイヨシノの桜並木です。
秋の陽ざしに桜の葉が色づいていました。
荒川から水を引き込んでいる浅瀬で、くちばしが黄色いチュウサギが水の中をのぞいています。
足で土をゴソゴソとして。
クチバシを水の中に一気に差し込んで、小魚のようです。口にくわえていました。
行ったり来たりしていた、落ち着かないモズ。
古民家カフェ VIA と、atelier Mado (アトリエ マド) を追加しました。
古民家カフェ VIA は、さいたま市荒川サイクリングロードの土手を越えて、野球グランドを南に隣接した森の中にありました。
ロードバイクファンが集まるカフェです。
埼玉産ポークのメンチカツサンドとカフェオレをいただきました。
atelier Mado (アトリエ マド )は、静かな住宅街の中にありました。営業は、日曜、月曜、火曜の週三日です。
玄関では、お店の方にお迎えをしていただきました。 店内はフランスの小物が飾られ、落ち着いた雰囲気です。
ランチに、野菜がたっぷりのキッチンガーデン。
もともとのギャラリーを、「食事が出来たら良いのに」と言われて、そうなってしまったようです。
西区のカラーを、アジサイの青と決められた時の、女性の前市長様と仲良しのようでした。
埼玉県さいたま市西区指扇には、赤羽根の地名がありました。
全国の赤羽・赤羽根の地名を旅している 赤羽紀行と、埼玉県さいたま市西区指扇赤羽根 をご覧ください。
2018年10月27日(土) 午後1時~2時
横浜市栄区、庄戸中学校コミュニティハウス の図書室で
「~見て楽しみ、聴いて楽しむ~ 懐かしの真空管ラジオのお話」
と題した講演を、させていただくことになりました。
会費は無料で、先着20名様です。どうぞ、ご参加してください。
お待ちしています。
詳しくは、 コミュニティハウス便り 89号 をご覧ください。
その準備として、昼過ぎ頃に、自由が丘のカフェ ラジオプラントに再度訪れました。
音楽好きのお客様が先客として食事をとりながら聴き入っています。
オーディオ好きのご主人様と奥様で切り盛りしているカフェです。
音楽関係の本と、オールディーズが流行っていた頃のラジオが棚に並んでいました。
ランチにホットサンドをいただいてから、
音楽を真空管ラジオに飛ばすAMトランスミッタについての話をお聞きしました。
仕組みは理解出来ましたが、製作するには講演までには間に合いそうにありません。
音の温かさには少し欠けますが、今回はスマホからイヤホンコードを接続することにしました。
いろいろなアドバイスいただきまして、ありがとうございました。
塗装した建物の水色と白い縁取りは、とても気に入っていますが、当初考えていた色とは違っていました。
散歩道の両側に高い木々が続く赤羽緑道公園に合わせて、壁面は木肌の色、縁取りは、濃い緑色でした。その方が落ち着くと考えていました。
建物の水色と白い縁取りは、5年ほど前に出かけた、千葉県南房総市千倉町の「サンドカフェ」と同じ色でした。
ゴールデンウイークに、家族四人で行った時の清々しい記憶が、心の片隅に残っていたんだと思います。
カレーを食べて、隣のデッキシューズで、ガラスの浮きを買いました。
「道の駅道の駅ちくら 潮風王国」の「散歩カフェ」も見てきました。濃い水色が素敵でした。
タイドプールの海岸に立って、遠くを見ていました。
その頃から、こんな色合いが望みだったのでしょう。
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