赤羽自然観察公園、ハクセキレイとコゲラと
明るい秋の日が、葉が枯れた木の間から降りそそいでいました。
水田の稲は、すっかり刈り取られていました。
垣根のそばに、ツバキの仲間のサザンカ (山茶花)です。
田んぼの周りで、軽やかに走っていたハクセキレイ。
ツマグロヒョウモン (褄黒豹紋)のメスです。
木陰の中で、むくのきをコツコツとたたいて虫を探していたコゲラです。
スズメほどの大きさのキツツキです。
黄色い花に、黄色いキチョウ。
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沼野様
昨日は、まさに「スレ違いのレス」に返信を頂きまして、ありがとうございました。
SHW局は困惑するだろうなぁ、と含み笑いをしております。
さて、この自然観察公園ですが、私も近場ですので良くウォーキングをしています。
息子達二人も三岩小時代には、バーベキューや田植、稲刈りを楽しんでおりました。
また現在、隣のサッカー場では、私の従兄の息子達が少年サッカーの指導をしています。
そんな事柄や、沼野様の写真を拝見しておりますと想像もつかないのですが、
自衛隊の駐屯地の頃、昭和40年前半までは、戦車が20~30台ズラリ!と並んでいましたね。
祖父母の住んでいた団地の方に、ピタリと照準を合わせる様に・・・・
私もおもちゃの刀やピストルくらい振りまわしておりましたが、その異様なオーラを放つ「兵器」を見る度、子供心に不気味な思いをしておりました。
昨日の緑道公園も、もとはと言えば軍用の引込線の跡地ですものね。
母の実家の墓が、体育館の先にあるものですから、彼岸の度にまだ撤去されていないレールの上を歩いて墓参りに行っておりました。
沼野様の写真を拝見しながら、そんなことを考えておりますと、時節柄、つくづく「平和」を思わずにはいられません。(大げさですかね)
最後に赤羽紀行がらみのお題を。
私、沼野様の母校とは、何かにつけてライバルと言われる三田の方の学校出身なのですが。
付属の中学に入学後、同級生に赤羽小学校出身者がいることが分かりまして、これは心強いと、
「家はどの辺なの?僕は志茂で二岩(現なでしこ小)なんだけど。」と、聞いても相手は「???」
よくよく聞けば、相手は「港区の赤羽小学校」なのでした。
後々まで、何、分からない事言ってくる奴だなぁと思ったよ。と言われた次第です。
私もSHW局共々、いつかお会い出来ればと思っておりますが・・・
話、長くなりそうですねぇ( ̄▽ ̄)
いや、こちらの文章も長くてすみません・・・
投稿: 佐野 亨 | 2015.10.20 17:56
佐野 亨様、沼野明夫です。
八幡小学校の辺りは、三角山と呼んでいましたでしょうか。遠い記憶で、そこに戦車が置いてあったと思い出しています。
体育館の先の墓は、赤羽宝幢院であれば、節分会・施餓鬼など、お手伝いをさせていただいています。
亡き父は、ほぼ全滅した部隊から、運が強く生き残って帰ってきました。今の世界の現状を見ていると、平和の有難味を強く感じます。
団塊の世代の最後に育ちましたので、資源は少なくて、遊びは自分達で考え、どんな物でも遊びにしていました。
赤羽という地名について、愛知県田原市の、時々お邪魔する、赤羽根郵便局の局長さんからも、赤羽というと東京都北区になってしまうといわれています。でも、それはそれでいいのではないでしょうか。
取りとめなく続きそうです。
きっと、どこかで何度もすれ違っているのでしょう。デジカメを持って花や鳥を追いかけています。
投稿: 沼野明夫 | 2015.10.20 21:27