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自己紹介

  •  東京都北区赤羽生まれで、赤羽育ち、赤羽幼稚園、赤羽小学校に通いました。 現在、古い民家をリフォームしています。
     全国の赤羽・赤羽根の地名の訪問と、赤羽緑道ガーデンコートの庭を造っています。 夢は、本に囲まれた家に住みたい。

    赤羽緑道公園 ガーデン コート

    赤羽紀行  (株)沼野商事

フォト

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さいたま市立博物館と大宮氷川神社に

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 JR大宮駅東口から大宮氷川神社 の参道を歩いて、二之鳥居の脇、さいたま市立大宮図書館 の隣に、さいたま市立博物館 があります。駅から徒歩15分程です。

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 第36回特別展 「絵図の世界 ~描かれた背景をさぐる~」を見てきました。
 江戸時代に描かれた、さいたま市内の国郡図、宿絵図、村絵図、検地絵図、鷹場絵図などが展示されていました。
 特筆すべきは、税務や道路・水路の資料として使われてきた、寸法が 5.21m×3.41m の浦和宿絵図です。
赤く塗った中山道を中心にして宿全体が描かれ、玉蔵院、本陣、成就院、一里塚、小社が図入りで表されていました。測量の正確さと、その大きさに驚いてしまいました。

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 その後、お団子には目もくれず、南北に延びた表参道を進んで、東京都・埼玉県近辺の約200社ある氷川神社の総本社、大宮氷川神社に参拝しました。

 ケヤキ、杉を含め、参道には30種類600本を超える木々があり、幹回りが2メートルを超える古木25本は、市の天然記念物に指定されています。

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 神池にかかる神橋を渡り。 

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 朱塗りの楼門には、七五三に来た家族が写真を写していました。 

 境内で、氷川神社奉納菊花大会が行われていました。

 今日は少し肌寒い陽気でです。帰り道、万歩計は九千歩を表示していました。

平成24年 赤羽八幡神社の七五三祝祭は 11月4日・11日です

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 赤羽八幡神社の階段の両側には、北区指定保護樹林のソメイヨシノ、エノキ、スダジイなどが植えてあります。

 風に揺れる木々からパラパラと音がして、大きさ1cm2mmから2cmの可愛いスダジイのドングリが落ちてきました。

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 子供の頃、形のいいドングリを拾って宝物のように大切に仕舞っていました。

 今年も残すところ2ヶ月です。

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 七五三は、男の子は( 3歳 ) ・5歳、女の子は3歳と7歳の年の11月15日に、成長を祝って神社・寺などに詣でる行事です。

 平成24年、赤羽八幡神社の七五三祝祭は 11月4日(日) ・11日(日) の午前10時から午後3時です。

 随時、受け付けしています。 駐車場も完備しています。

 二日間以外に七五三をしたい場合は、赤羽八幡神社に問い合わせしてください。

 東京都北区赤羽台4-1-6  電話 03-3908-1764 

 平成23年 赤羽八幡神社の七五三祝祭、赤羽紀行の赤羽八幡神社 七五三祝祭をご覧下さい。

赤羽自然観察公園は、少しづつ秋色に彩られています

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 赤羽自然観察公園 は、少しづつ秋色に染まっています。ツバキでしょうか。赤と黄色に色づいています。

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 「にしきぎ」 は、この後、燃えるような赤に彩られていきます。

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 モンキチョウが残り少ない花の間を飛び回っていました。

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 まん丸いクヌギのどんぐりが、案内板の上に並んでいました。

 さっきまで写生をしていた子供たちが置いていったのでしょうか。

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 古民家の前の田圃は、一度刈り取られた後で、また緑に変わっていました。
 

 

復元された東京駅の赤れんが駅舎を見てきました

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 丸の内仲通りの用事を済ませてから、大正期の創建当初の外観に復元された東京駅の赤れんが駅舎を見てきました。

 日本銀行本店をはじめとする建築家、辰野金吾氏の設計によるものです。

 屋根材には、東日本大震災の津波に打ち勝った宮城県産の天然スレートと呼ばれる石が使われています。

 広い歩道では、大勢がカメラを持って駅舎を写していました。

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 第二次世界大戦で焼けた3、4階のドームや屋根部分が復元されました。

 駅舎ドーム内に貼り付けられた8つのレリーフが素晴らしいです。

 東京駅構内で、150種の全国の駅弁を売っている「駅弁屋 祭」では、赤れんが駅舎が完成以来、5割り増しの売り上げになったそうです。

 しばらく、ブームは続きそうです。
 

三国志、二巻目です

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 三国志、二巻目です。

 悠久の大地で繰り広げられる果てしない戦い。

 乱世の慣いとはいえ、当時の興亡浮沈にただよわされていた無数の英雄門閥の諸侯も、一歩踏みずすとその顛落は早い。

 群雄割拠の最中、帝が洛陽へ還幸された。

 命からがら逃げ延び、生死の境を生き抜いた曹操は、山東一帯を鎮撫し、建徳将軍に封じられ、兵二十万を有する勢力になっていた。

 文章表現も三国志らしくなってきました。

 読み続けるにつれて、現在の中国人の気質が分かってきたような気がします。

 自身を守り、大陸で生き抜くには、たとえそれが身勝手であろうとも、果敢な行動力が不可欠であることを。

 今日本人が忘れてしまった何かがあります。面白くなってきました。

赤羽緑道公園に

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 紅葉が色づいています。今日は、雨が来たり、晴れて明るくなったり、慌ただしい一日でした。

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 オレンジの花と独特の甘い香りが漂っていました。金木犀です。秋を感じさせていました。

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 最近は寒くなってきたので、早朝の散歩を止めていますが、雨の降る前に歩いてきました。

 

旧古河庭園に秋のバラフェスティバルを見に行きました

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 バラが咲きだしています。東京都北区西ヶ原、 旧古河庭園 に秋のバラフェスティバルを見に行きました。
 JR京浜東北線「上中里駅」と、東京メトロ 南北線「西ヶ原駅」から徒歩約7分です。

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 大正初期の庭園の原型を留める旧古河庭園は、武蔵野台地の斜面と低地を活かして、小高い丘には洋館と洋風庭園を、低地には日本庭園を配しています。

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 色とりどりのバラが洋館の南側の洋風庭園に咲いていました。

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 大勢の花好きの人が訪れています。

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ホームページ、10月の定例会でした

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 3万ドル倶楽部 2012年10月の定例会は、池袋駅東口NEC PCカレッジ西武池袋校 でおこなわれました。

 今日の講義内容は、「Googleのブログについて・YouTube 英語版の作成・SNS(Pinterest LINE)」でした。講師は鈴木大吉先生です。

 本日も内容の大目の講義でした。その中でも、SNS(ソーシャルネットワークサービス)についてですが、また新しいサービスがあるそうです。

 Pinterestというのですが、人と人とのつながりの中でも興味とのつながりに重点を置いています。SNSとどう付き合っていくかが今後の課題になりそうです。

 本日の講習も大変役に立つ素晴らしい内容でした。

 鈴木大吉先生、ありがとうございました。

 東京都北区赤羽の不動産会社 株式会社沼野商事 です。 
                    


                   

芸術新潮 2010年 02月号 小村雪岱の特集号が届きました

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 芸術新潮 2010年 02月号 特集「小村雪岱を知っていますか?」が届きました。

 大正から昭和初期にかけて才能を発揮した小村雪岱は、多くの書籍をあざやかな意匠で飾った「装幀家」、江戸をモダンな白黒線画で描く「挿絵画家」、役者に愛された「舞台芸術家」など多くの顔を持っていました。

 芸術新潮の表題の通り、その作品は書籍などの小品が多くて、絵画のように大きくないことが、美術展を開催する機会を少なくて、小村雪岱を知りらない人が多い理由と思えます。

 泉鏡花の作品の装幀は、鏑木清方の方が有名ですが、装幀が傑作といわれる「日本橋」から小村雪岱が活躍するようになりました。

 作風は、美人画は、鈴木春信のようでもあり竹久夢二のようでもある。風景画は、歌川広重のようでもあります。

 大正の初めの頃、資生堂の意匠部商品や広告のデザインに携わるようになり、香水のボトルをデザインしています。

 「日本橋」、「絵入草 おせん」、「小説おせん」など心を躍らせる作品がありました。

 素晴らしいです。感激でした。

伊勢神宮に参拝して、おはらい町、おかげ横丁を散歩しました

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  伊勢神宮 外宮・内宮に参拝しました。

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来年( 平成25年 ) が第62回の式年遷宮になります。20年に一度すべての建物が作り直されます。それは、技術の伝承をするためとも言われています。

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 おりしも、神嘗祭(かんなめさい)が行われていました。
 神嘗祭は稲が実り、収穫を天照大御神にお届けし、お召し上がり いただくことです。
 伊勢神宮 を流れる五十鈴川に船を浮かべて、新米の米俵と稲穂を積み、初穂曳がおこなわれていました。木遣り歌を響かせて桜ヶ丘と中之町が左右に分かれて網を引いていました。

 五十鈴川の初穂曳を動画でご覧ください。

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 参拝の後、おはらい町、おかげ横丁を散歩しました。
昔、伊勢神宮に参拝した人達は、何を思っていたのだろうかと考えながら歩いていました。

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 昼食に すし久 で、てこね寿しを食べました。運よく空いている時間帯で、すんなりと入れました。たれに漬けた鰹と海草の味噌汁は、独特の味わいです。


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 赤福 本店の座敷の奥で、五十鈴川を眺めながら、手作りの赤福とお茶をいただきました。素朴な甘さががいいです。

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 虎屋 で、この季節のういろ・紅葉と栗を買いました。
ういろは、私の大好物です。しっとりと、もちもちした食感か良いのです。

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 イオンタウン伊勢ララパーク の、寿がきや で、玉子入りラーメンもいただきました。

 現在、関東地方に"寿がきや"はありませんが、数十年前はたくさんあありました。あの、懐かしい味を楽しみにしていました。

 いろいろ食べて食べて、体重がだいぶ増えていました。


 

 

三重県北牟婁郡紀北町の赤羽を探して巡っています

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 三重県北牟婁郡紀北町に、赤羽の地名を探して巡っています。

 道の駅 紀伊長島マンボウ に併設していた 紀北町観光協会 で、紀北町の観光情報を入手して、さんま寿し、みかん、大内山牛乳、魚の骨せんべいなどを買いました。

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 赤羽小学校 ( 上 ) と赤羽中学校 ( 下 ) が並んで立っています。

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 赤羽は、あかばと読みます。

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 二級河川の赤羽川です。赤羽の名前の付く川は、全国でここだけです。感激しています。

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 赤羽運動公園など赤羽の宝庫でした。

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 大昌寺・赤羽不動堂の格子絵天井が素敵でした。

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 養鶏場が経営している、卵卵ふわぁーむで、地養卵たっぷリンとカリカリシュークリームを買いました。濃厚で美味しいです。

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 昼食は、かい鮮やで海鮮丼です。
温かいご飯に、マグロ、ツバス、太刀魚、ヤリイカがのっていました。甘めのしょう油だれと、魚が新鮮で美味しいです。

 全国の赤羽・赤羽根を探して旅している赤羽紀行 と、北牟婁郡紀北町の赤羽 をご覧ください。
 

母の自宅の庭です

 見沼代用水東縁が流れている旧鳩ヶ谷市に母の自宅があります。

 見沼代用水の両岸には遊歩道が整備されていて散歩するのに最適です。

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 庭の柿が色づいてきました。冬場の小鳥たちの餌になります。

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 みかんも大きくなってきました。

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 バラも少し咲いていました。

 母の楽しみは、庭の花と小鳥が集まってくるのを見たり、裁縫で小物入れを作ることです。

 今日もぽかぽかとした日和でした。

メディアファクトリー「お金持ちのお金はなぜなくならないの?」を読んでいます

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 地主様と接する機会があり、メディアファクトリー、野村総合研究所上席コンサルタント 宮本弘之著 「お金持ちのお金はなぜなくならないの?」 が気になって、読んでいます。

 この本は、お金が増えれば起こること、お金が増えたり減ったりする原理、お金持ちの存在する意義などを、データを用いて分析しています。

 「どうしたらお金持ちになれるのか」、については書かれていませんし、不運で「お金の無くなったお金持ち」も書かれています。

 お金持ちでいられる条件は、充分な元手、リスクを取る勇気、負へのレバレッジ対策、信頼・堅実さを大切にすることなどです。
  
 意外と地味で堅実、ときどき贅沢な、お金持ちの素顔が統計とインタビューで見えてきます。

 赤羽の地主様で堅実な方は、しっかりと資産を守り、着実に増やしていました。

 東京都北区赤羽の不動産会社 株式会社沼野商事 です。 
 

東京大学総合研究博物館に「東大古生物学 130年の奇跡」を見に

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 東京大学総合研究博物館 に「東大古生物学 130年の奇跡」を見に出かけました。収集された20万点の内、美しい化石、約300点が展示されていました。

 古生物学は、地層中に実存する地質時代に存在した生命を研究する学問です。多くの古生物はすでに絶滅していますが、化石を通じて存在を知ることが出来ます。

 今まで非公開であった東京大学 の化石コレクションの初めての公開でした。
 ごく初期のコレクションを除いて、ナウマンゾウ、アンモナイトなど多数の化石は国内で発掘されたものです。
 明治期から現在に至る東大古生物学の歴史を標本と出版物をもとに紹介されていました。

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 生物は生きるために進化をし続けてきています。進化しながら今を生きています。
 そんな中で、古生代の巻貝はどう見ても現在のものと同じ形をしている。数億年の時間の経過を全く感じさせないのは、変わる必要のない完成された形であったから。

 「貝は、数億年前から幸せだったんだ」。進化しなければ生き残れなかった我々人類は、本当は「不幸」な存在なのかもしれない。 化石の撮影をした、山田昭順氏の言葉です。

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 東京の地中には、今もゾウや貝の化石が埋もれているといいます。ワクワクする気持ちになりました。

 昼食を東大構内、安田講堂の前の地下にある中央食堂でいただきました。牛筋のスープと魚のフライに雑穀米が選べる定食です。これで1コインでした。学生にはあり難いです。そう、一般の社会人も一緒に食べていました。

赤羽自然観察公園に

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 赤羽自然観察公園、古民家の前の田圃は実った稲がすっかりと刈り取られていました。

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 ひっそりと彼岸花が咲いています。

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 芙蓉の花も咲いていました。

 穏やかな昼下りです。

埼玉県伊奈町、町制施行記念公園・バラ園と、イノセントアートギャラリー&カフェ・寧に

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 埼玉県北足立郡伊奈町、町制施行記念公園・バラ園 に出掛けました。

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 開花している薔薇の花はまだ少なくて、見頃は10月中旬から11月上旬にかけてのようです。早めに見てきました。

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 埼玉県内で最大の規模、約300種4500株以上のバラが植えられています。

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 バラ園を見た後で、一休みに素敵な場所を見つけました。
 イノセントアートギャラリー&カフェ・寧 は、入り口に小さな案内板があって、木立の生茂る小路を、咲く花に目をやりながら進んで行くと、木漏れ日の中にありました。

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 隠れ家のようです。玄関を入るとギャラリー、その奥で食事ができます。

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 大きな窓のそばの席に座って、庭の木立を眺めながら、季節のフルーツタルトとコーヒー ( まろやか )を注文しました。

 素晴らしいたたずまいです。私の理想郷のようでした。
美味しくてフルーツタルトとコーヒーは、すぐに食べ飲んでしまいました。

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 敷地内に咲いていたコスモスも綺麗でした。

 御主人に伊奈町に来た理由 (赤羽を探して旅していることや、赤羽の地名の由来などを) をお話したところ、「あかばね山」の言い伝えをお聞き出来ました。ありがとうございました。

 今日も素敵な場所を見つけることが出来ました。

 埼玉県北足立郡伊奈町には赤羽と書く地名があります。赤羽紀行と埼玉県北足立郡伊奈町の赤羽をご覧ください。
 

荒川の土手はぽかぽかしていました

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 荒川の土手伝いに歩いています。風もなく暖かい日よりです。

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 青水門を過ぎて環八の手前で折り返します。

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 船着き場近くでは、テントが樹林のように立っていました。

 今日は体育の日です。 いつもよりたくさんの家族連れが繰り出して、原っぱを飛び回っていました。

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 遅く咲き出した彼岸花がわずかに咲いています。

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ニューオータニ美術館に「大正・昭和のグラフィック デザイン 小村雪岱展」を見に

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 ニューオータニ美術館 に「大正・昭和のグラフィック デザイン 小村雪岱展」を見に行きました。

 小村雪岱(こむらせったい)は、大正時代から昭和にかけて装幀、挿絵、舞台美術や商業広告などの分野で活躍しました。

 泉鏡花 の文学にあこがれていた小村雪岱は、鏡花の作品 「春昼」に合わせた 「春昼」を描き、知遇を得て、大正13年に出版された小説 「日本橋」の装幀を任されることとなりました。

 それまで泉鏡花の作品の装幀は、鏑木清方 がしていました。

 小村雪岱の仕事は書籍の装幀、小説の挿絵、歌舞伎や新派の舞台美術でした。

 今回の展覧会では、装幀本が多数出品されていましたので、実際に見てその素晴らしさに、うっとりしました。

 人物は、痩身で鈴木春信を思わせるような作風、風景は歌川広重を感じる景色です。

 落ち着いて、独特で爽やかさに感じ入りました。

 素晴らしい作品を見る事が出来ました。ありがとうございました。

 

吉川英治著「三国志 (1)」を読み始めました

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 中国が支那と呼ばれていた、今から約千八百年前、悠久の大地で繰り広げられた群雄割拠の有り様を見に、講談社吉川英治著「三国志 (1)」 を読み始めました。

 時代は180年頃 - 280年頃、中国の後漢末期から三国時代にかけて、魏・呉・蜀の三国が戦乱にまみれた頃のことです。

 地理、年代、歴史背景、登場人物の読み方がそれぞれに難解なのですが、多くの読者いることが「三国志 」の素晴らしさを物語っています。躍動感を求めて頁を進めて行きます。

 戦国の人物を三国志の登場人物になぞらえると、徳川家康は、諸葛孔明の智謀・関羽の勇を兼備した武将と評されていたようです。

 徳川家康を読もうと考えてから、読み始めるまでに5~6年も掛かってしまいました。

 今はそんなに先がありません。すぐに読み始めました。邱永漢氏もお薦めしていました。

シトロエンの本、SIXTY YEARS OF THE CITROEN 2CV、CITROEN AUTOMOBILE

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 シトロエンの本、SIXTY YEARS OF THE CITROEN 2CVです。

 2CV誕生からの軌跡がまとめられています。1937-1997年の、歴史の本です。

 表紙以外はモノクロ写真です。当時はモノクロ写真が普通の時代でした。

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 シャンゼリゼ通りの凱旋門の前を集団で疾走する CITROEN 2CVです。
 素晴らしいです。かっこいいです。

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 CITROEN AUTOMOBI LEです。

 初期の乗用車は、T型フォードに似ています。
トラクシオン・アヴァン、2CV、DS、、SM、GS、バス、トラックなどがラインナップしています。

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 1930年~1940年頃のトラクシオン・アヴァンです。
 前輪駆動の乗用車という意味ですが、性能が高く、余りに有名になったため、前輪駆動車を指す、固有名詞となりました。

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 広告用の写真で、モガ ( モダンガール ) 全盛の頃でした。

 DSの頃からの1スポークのハンドルと、油圧式のサスペンションはシトロエン独自の技術です。
油圧で水平をコントロールするので、片側に荷物を積んで傾いていても、エンジンをかけた途端、何もなかったかのように、車が水平になります。

 そして、独特のデザインの魅力が、人を引き付けて話しません。

たばこと塩の博物館に「江戸の判じ絵」を見に

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 渋谷区のたばこと塩の博物館 に「江戸の判じ絵 ~再び これを判じてごろうじろ ~」を見に行きました。

 組み合わせた「絵」から答えを導き出す、目で見るなぞなぞです。
視覚的なことば遊びの一種で、近世、江戸時代などに流行しました。

 たとえば、「ぞう」と、「金太郎」の上半身の絵があると、上から「ぞう」・「きん (金太郎の上だけ) 」と読んで、雑巾となります。

 母親が子供に着物を着せている絵なら、服を着せるから、「きせる ( 煙管 ) 」が答えです。

 さらに、「田」が、箱に入っている絵から、田箱入れ・・・「たばこ入れ」が正解です。

 日常ではありえない光景の絵にとらわれていると、判じられなくて、問題のために無理やりこじつけられた絵と、一歩下がって考えてみると答えが浮き上がってきます。

 「謎つくし」、「役者はんじ物」、「いろは四十八文字 はんじもの」、「名所案内」、「暦」・・・など、絵を見ていると、生き生きとした江戸の庶民の生活が浮かび上がってきます。

 難解で解読できなかったものもあったりして、江戸時代の人々は視覚的な、なぞなぞを楽しんできたのです。

 もしかしてと探し見ていたら、江戸の地名を問題とした 「江戸名所 はんじもの」の中に、赤羽を見つけました。赤い色の「羽子板の羽根」が描かれていました。これは判り易いです。
その頃の赤羽は岩淵町の小字です。嬉しくなりました。

 余談ですが、私は赤羽生まれで赤羽育ちの三代目ですが、赤羽は江戸の場外なので、「江戸っ子でえ」とは言えず、勝手に残念に思っています。

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 行きは渋谷駅から歩き、帰りは原宿まで歩きました。途中寄った代々木公園の木漏れ日の下に、彼岸花が咲いていました。

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