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自己紹介

  •   赤羽生まれで、赤羽幼稚園・小学校、早稲田実業中・高等部、早稲田大学社会科学部卒。  沼津のマルサン書店で修行後に正文堂書店に入社。多店化後に全て閉店。(株)沼野商事で奮闘中です。  東京北社会保険病院で、急性心筋梗塞のカテーテル治療を受けて戻ってきました。

    赤羽紀行  (株)沼野商事

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赤羽宝幢院前の道標

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 赤羽宝幢院は医王山東光寺と号し、真言宗智山派に属する寺院で、本尊は薬師如来像です。
寛正二年( 1461年) 和尚によって開山され、「新編武蔵野国風土記稿」には、慶安二年 (1649年) に、三代将軍徳川家光から赤羽根村内に十石余の年貢・課役免除の朱印を付されたことが記されています。

 寺伝や浮間の古老の言い伝えによれば、かってこの寺は、浮間村西野 ( 現在の浮間四丁目 ) にありましたが、荒川の氾濫による洪水を避けてこの地に移動したそうです。

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 門に向かって右側にある道標は、江戸時代の中期、元文五年 ( 1740年 ) 12月に了運という僧侶によって造立されたものです。

 赤羽宝幢院の前は、板橋道が日光・岩槻道と合流する位置でしたので、銘文には、「東 川口善光寺道 日光岩槻道」・「西 西国富士道 板橋道」・「南 江戸道」と刻まれています。

 日光岩槻道は、岩淵宿から川口へと船で渡り、鳩ヶ谷・大門・岩槻の宿場をへて幸手宿で日光街道に合流する道筋です。
 江戸幕府の歴代将軍が徳川家康・家光の廟所のある日光に社参するための専用の街道としたので日光御成道とも呼ばれました。

 板橋道は、西国へと向かう中仙道や富士道へ通じていました。

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 はるか昔の江戸を思い廻らしながら、いつもの散歩道、赤羽八幡神社の入口から赤羽緑道公園を歩き出しました。

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