仲介をさせていただいた土地の棟上式 でした
大安吉日、夕方から棟上式が行われました。
木造2階建て、1階は作業場と倉庫に、2階が居住用の建物になります。
建築主様、ご家族の笑顔が素敵でした。
東京都北区赤羽の不動産会社 株式会社沼野商事 です。
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大安吉日、夕方から棟上式が行われました。
木造2階建て、1階は作業場と倉庫に、2階が居住用の建物になります。
建築主様、ご家族の笑顔が素敵でした。
東京都北区赤羽の不動産会社 株式会社沼野商事 です。
最近では、北区立赤羽緑道公園から赤羽台団地を歩く散歩が日課になりました。
北区立赤羽緑道公園の近くにある浄土真宗 法善寺は、大正12年(1923年 )に、浅草清島町から当地へ移転したようです。
赤羽山と山号する寺院なので、赤羽を旅する者として、以前から気になっていました。
法善寺の本堂です。
赤羽で生まれ育ち、半世紀が過ぎました。
この辺りは先の戦争(第二次世界大戦)後、暫らくの間は戦車が残っていました。
また、三角山と呼ばれていたような記憶があります。
北区立赤羽緑道公園になる前の、引っ込み線の頃は、北側の低地を小川が流れていました。
周辺は、田んぼや田畑で、川の中央にヒルがいたのを今でも憶えています。
歩きながら、いろいろな事を思い出していました。
雨が降らなければ、毎日早朝に赤羽緑道公園と赤羽団地内を歩いています。
赤羽団地を下リて岐路に向かうとき、時々通る道に、うつり坂があります。
うつり坂は、旧赤羽台東小学校の北側にあります。旧板橋街道につながる坂道の一つでした。
大正8年、旧陸軍被服本廠が赤羽に移動すると被服本廠通用門への坂となり、関係者以外の通行は出来なくなりましたが、第二次大戦後、被服本廠の跡地に赤羽台団地が出来たために、もとのように通行が出来るようになりました。
かって坂の上にあった道祖神、庚申塔は、団地内に移されて、祀られています。
坂の下に、北区教育委員会設置の標識がありました。
坂を下った左手に、美味しい蕎麦の赤羽八幡蕎麦赤羽屋があります。
暑い季節には、冷やしたぬきそばが美味しいです。
夕方、同じ道を歩きました。
賑やかになってきたと感じたのは、ジー、ジー、ミーン、ミーンと鳴く、セミの声が聞こえてきたからです。
区立赤羽緑道公園を散歩中にお会いした浜野輝さんは、H.G.ウェルズの本を多く翻訳しています。
H.G.ウェルズはイギリスの著作家です。
1896年に小説「タイムマシーン」と「モロー博士の島」、1897年に「透明人間」、そして1898年の「宇宙戦争」は、わくわくして読んだ記憶があります。
岩波書店 「解放された世界」は、第一次世界大戦の前夜、1913年に書かれました。
原子エネルギーによる強力な爆弾 (核兵器) を用いた世界戦争と、戦後の世界政府誕生を描いています。核反応による爆弾は、核兵器を予見したとされています。
H.G.ウェルズは、原子核分裂に関する科学が、人類にたいして計り知れない恩恵ではなく、日本の二つの都市の破壊をもたらしたことを知ってなくなられました。
「人類の歴史は人間が物質的な力をどうやって獲得していったかの歴史である。人間は道具を使い、火を御こす動物である。この地上に初めて姿を現したときから、一介の野獣として持つ体力と攻撃器官を、燃える火の熱と粗製石器でおぎなっていた。 ‥‥‥‥‥‥ 」
翻訳者の浜野輝さんは、後書きに、「解放された世界」が日本の憲法の礎になっていると考えられています。
後書きを、どうぞお読みください。
真言宗智山派、赤羽宝幢院で、平成23年7月20日、盂蘭盆の法会、施餓鬼会が厳修されました。
台風6号の影響を心配をしましたが、思っていたよりは涼しい日でした。
施餓鬼会の趣旨は、「迷いの世界に落ちているかもしれない精霊を供養、その功徳によって私たちも、み仏の世界に生きることができるように」と願うことです。
私たちが使っている「お盆」という言葉は、「盂蘭盆」が略されたもので、その語源は梵語のウランバナにあり、「倒懸の苦しみ」を意味していることから、お盆は人々の心の苦しみを救う行事とされています。
午後1時から法話があり、午後2時から 法要が行われました。
法要の後、仏を供養する散華がありました。
蓮の花は、一日目、二日目と早朝四時頃から開き、朝十時過ぎには閉じます。そして三日目、花は開いたまま、もう閉じることはなく静かにはらはらと散っていきます。まさしく散華が舞うようです。
蓮の花は泥中に咲いても清らかであることから煩悩に汚されない清浄無垢なことに喩えられます。また、お経との関わりも深く、仏さま、菩薩さまは蓮の花の上に立ったり、座ったりして表現されます。
いただいた散華はお守りとしてお役立てください。
心配していた台風6号も雨は少なく、気温も涼しくて、例年通りの大勢の檀家様が参集していただきました。有り難うございました。
赤羽宝幢院 〒115-0045 東京都北区赤羽 3-4-2
「おい」と、赤羽緑道公園のベンチで一休みしていた時に声が掛かりました。「おや」と返事をしていました。
イギリスの著作家 H.G.ウェルズ の翻訳の多くをしている浜野輝さんです。書店をしていた頃からの知り合いでした。
散歩している時によくお会いします。
「今朝は午前5時台に歩き始めました」と言うと、「俺は3時半には家を出たよ」と、お元気です。
しばらくベンチに腰掛けて、H. G. ウェルズ、ルーズベルト・アメリカ大統領、日本国憲法の制定の時のことなどをお聞きしました。
H. G. ウェルズ著、SF小説「宇宙戦争」は子供の頃に読んで知っていましたが、浜野輝さんが翻訳された岩波文庫「解放された世界 」は、読んでいませんでしたのでアマゾンで注文しました。
しかし、今朝は、さらに早く歩き出しているのに、皆さんは、もっと早く歩き出しています。
「おはようございます」と挨拶する方が増えてきました。
「赤羽紀行」の前身は、「赤羽を探して」が最初のタイトルで、東京都北区赤羽を紹介する「赤羽風暦( あかばねかぜごよみ)」の中の一部でした。
昭和59年5月、群馬県館林市に、赤羽があることを見つけてから、当時はインターネットなどまだ普及していない頃なので、地図とにらめっこをしながら探していました。
埼玉県さいたま市西区の赤羽根、 神奈川県厚木市の赤羽根、埼玉県北足立郡伊奈町の赤羽と、地元東京都北区赤羽を一緒に作り上げて、2002年9月に発信を開始しました。
この頃、古墳に興味を持っていましたので、前方後円墳に魅せられて と、静岡県熱海市網代を紹介した網代だよりを、別のサイトで作っていました。
静岡県熱海市網代は妻の実家で、私と子供達は、海と山のある故郷の田舎暮らしを満喫していました。
網代港の堤防でアジ釣り、漁師で義理の父にベカで連れて行ってもらった初島、網代湾内での鯛釣り、飯蛸釣り、お囃子が小気味良い阿治古神社例大祭、浜辺に寝転んで見上げる花火大会、白い灯台などを網代だよりに書き綴ってきました。
今年は長男と次男が、阿治古神社例大祭を写しに行きます。
「赤羽風暦」は、2005年4月、全国の赤羽・赤羽根を訪ね歩く赤羽紀行をメインにして、タイトルも変えました。
この頃には東京都北区の赤羽を含め、初めての赤羽を見つけた群馬県館林市から数えて20ヶ所を訪ねていました。
2011年7月に、全国の赤羽・赤羽根を訪ね歩く赤羽紀行 をリニューアルすると共に、今まで別々にしていた網代だより・前方後円墳に魅せられてを一緒にしました。
現在の赤羽・赤羽根は、兵庫県神戸市西区伊川谷町潤和の赤羽で、36ヶ所目になりました。
全国に赤羽・赤羽根は、まだ沢山あります。赤羽紀行で、赤羽の素敵な旅人気分を味わってください。
ビジネス情報ネット ・ 3万ドル倶楽部 2011年7月のいつもの定例会は、池袋駅東口NEC PCカレッジ西武池袋校です。
今日の講義内容は、「・Facebookの研究・Facebookページの作り方・3万ドル倶楽部のメンバーの25人の「いいね!」によって短縮URLを取得する」でした。
講師は今月も鈴木大吉先生です。
最初の時間は、SEO対策においてのFacebookの重要性について。
後半は、Facebookでのページの作り方です。
まだ私はFacebookの登録しかしていなかったのですが、いざ始めてみると、楽しいというかかなり興味を惹かれます。
喰わず嫌いというものなのでしょうか?効果の程はさておき、やってみて損はないと思います。
本日の講習も大変役に立つ素晴らしい内容でした。
鈴木大吉先生、ありがとうございました。
東京都北区赤羽の不動産会社 株式会社沼野商事 です。
JR.赤羽駅西口から赤羽台団地に向かう、赤羽幼稚園前の坂を大坂といいます。
昔は、赤羽から上の台( うえんだい)に登り、旧板橋街道 に抜ける道でした。
大坂の名は、その昔「小坂」とよばれた清瀧不動の石段に対するものとして付けられました。
ここは狸にまつわる民話も残っていますので、狸坂ともよばれています。
また、政右衛門 ( まさえもん) 坂とよぶ人もいるようです。
赤羽幼稚園の角に、北区教育委員会設置の標識があります。
いつもの散歩コースは、赤羽八幡神社入り口前から赤羽緑道公園に入って、赤羽台団地を抜け、この坂道 ( 大坂 ) を下って行きます。
東京ビックサイトで開催されている全国賃貸住宅新聞主催の「賃貸住宅フェア 2011 in 東京」に行ってきました。
鈴木ゆり子さんのブースで、「ガチンコ・トークショー」に間に合って、直接お話を聞けました。
元気でパワフルな鈴木ゆり子さんは、並々ならぬ努力をしていました。
短い時間でしたが要領を得た解説に、大家さん達も納得しています。
続いて、節電対策のウインドウ・フィルム、シャワールーム、太陽光発電などの展示を見てきました。
暑い季節ですが、熱心なオーナーが沢山来られていました。
東京都北区赤羽の不動産会社 株式会社沼野商事 です。
赤羽緑道公園の花壇はいつも綺麗に花が咲いています。
ここは、八幡フラワー同好会の方々が手入れをしています。有り難うございます。
昭和30年代に立てられた赤羽台団地も、今は、ヌーヴエル赤羽台として変わりつつあります。
平成19年1月から20年5月まで道合遺跡の発掘調査が行われました。
ヌーヴエル赤羽台、3号棟から7号棟の立つ所には、縄文時代前期の貝塚、弥生時代後期の集落の住居跡、古墳時代の住居跡などが見つかっています。
早朝の散歩も楽しみがあります。
赤羽宝幢院は医王山東光寺と号し、真言宗智山派に属する寺院で、本尊は薬師如来像です。
寛正二年( 1461年) 和尚によって開山され、「新編武蔵野国風土記稿」には、慶安二年 (1649年) に、三代将軍徳川家光から赤羽根村内に十石余の年貢・課役免除の朱印を付されたことが記されています。
寺伝や浮間の古老の言い伝えによれば、かってこの寺は、浮間村西野 ( 現在の浮間四丁目 ) にありましたが、荒川の氾濫による洪水を避けてこの地に移動したそうです。
門に向かって右側にある道標は、江戸時代の中期、元文五年 ( 1740年 ) 12月に了運という僧侶によって造立されたものです。
赤羽宝幢院の前は、板橋道が日光・岩槻道と合流する位置でしたので、銘文には、「東 川口善光寺道 日光岩槻道」・「西 西国富士道 板橋道」・「南 江戸道」と刻まれています。
日光岩槻道は、岩淵宿から川口へと船で渡り、鳩ヶ谷・大門・岩槻の宿場をへて幸手宿で日光街道に合流する道筋です。
江戸幕府の歴代将軍が徳川家康・家光の廟所のある日光に社参するための専用の街道としたので日光御成道とも呼ばれました。
板橋道は、西国へと向かう中仙道や富士道へ通じていました。
はるか昔の江戸を思い廻らしながら、いつもの散歩道、赤羽八幡神社の入口から赤羽緑道公園を歩き出しました。
赤羽宝幢院では施餓鬼会を厳修いたします。
施餓鬼会の趣旨は、「迷いの世界に落ちているかもしれない精霊を供養、その功徳によって私たちも、み仏の世界に生きることができるように」と願うことです。
日 時 平成23年7月20日(水曜日)
当日受付 午前10時から
お 弁 当 午前12時から
法 話 午後1時
法 要 午後2時
( お弁当は、塔婆・施餓鬼を申し込まれたご本人様とご家族の方にご用意してあります。 客間で時間までごゆるりとお待ちください。)
赤羽宝幢院 〒115-0045 東京都北区赤羽 3-4-2
休日に東京ディズニーシーに出掛けました。年に数回のまだ初心者クラスです。
トランジットスチーマーラインとエレクトリックレールウェイで、園内を一周して全体が分かってきました。
ストームライダーに並んでいると隣のアトラクション・アクアトピアに可愛いマンボウが見えます。
タワー・オブ・テラーの前でパフォーマンスがありました。清掃をしながら妙な所で音が聞こえます。いつの間にか歓声が沸いてきました。
午後8時からのファンタズミックを見ました。素晴らしいです。
いつまでもここに居たいと誰もが思っているのでしょう。楽しい一日でした。
国税庁から、2011年(平成23年) 1月1日現在の路線価が発表されました。
全国の路線化の平均変動率は前年比マイナス3.1%で、3年連続の下落となりましたが、下落率は前年より縮小しています。
最高路線価は東京都中央区銀座5丁目・銀座中央通りで、前年比マイナス5.2%でした。
東日本大震災の影響は考慮されていませんので、被災地においては、今年の10~11月頃に調整率が公表される予定です。
路線価は、道路に面した宅地の1平方メートル当たりの評価額で、道路に表示されています。相続税や贈与税の申告に役立ってもらうことがこの目的になります。
概ね土地の実勢価格の80%ぐらいと考えられます。
土地の形状、面積の大小、角地などによって評価額は調整されますが、金融機関の融資額も路線価を利用しているようです。
土地の価格にどうしても関心が集まってしまいますが、本来土地は有効活用するものだと思っています。
少子化の日本の将来を考えると、土地が余ることが充分予測でき、価格自体をあまり気にすることは必要ないのではないかと思います。
東京都北区赤羽の不動産会社 株式会社沼野商事 です。
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