
大掃除をしていて、亡父の書棚の中に昭和55年発行の「書店人国記 (二) 埼玉県」を見つけました。
「書店人国記 」は、児童書の出版社 ポプラ社 の当時専務さんだった田中治男氏が書かれたもので、全国の書店を回って取材した書店の集大成です。
株式会社沼野商事 の前身は株式会社正文堂書店( しょうぶんどう )で、本屋を営んでいました。
本が発行された当時は赤羽本店と、東京都東大和市と埼玉県狭山市の現イオン ( 旧ダイエー、その前の忠実屋です ) に支店を出店していました。
東京都北区赤羽の正文堂書店が埼玉県版に記載された経緯は、私が埼玉県狭山市の支店に勤務していたからです。
最初は沼野・正文堂で、北区立赤羽小学校 の正門の近くで文房具の店を商っていました。
小学校の生徒のために午前7時頃から店を開けて、半紙1枚からの細かな商いをしていました。

昭和7年から赤羽小学校の教科書を取り扱い始めました。父が戦争から戻った昭和22年頃からは、リユックを背負って本を神田の取次で仕入れるようになり、本屋が本業になっていきました。

赤羽馬鹿祭りパレードの時です。この頃の赤羽一番街商店街は隆盛でした。
ダイハツ・ミゼットで仕入と配達をしていました。映画の ALWAYS 三丁目の夕日 と同じ頃です。

建物は増築をして、間口が広がりました。

支店がある頃に赤羽店を建て替え、鉄骨造6階建てになりました。
その後、3店の支店は全て閉め、今はこの建物だけになりました。
懐かしさと共に、業種は変わっていましたが、大正6年に個人店として営業を始めた先々代から、93年間続いてきたことの重みを思い直しています。
長きに渡りご利用していただいたお客様、出版社・取次店、応援をしていただいた方々、仕事に従事してしていただいた方々に、深く感謝を申し上げます。有り難うございました。
これからもお客様の役に立つこと、喜んでいただくことを心掛けていきたいと思っています。
東京都北区赤羽の不動産会社 株式会社沼野商事 です。
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