司馬遼太郎著「街道をゆくオランダ紀行」を読みながら
朝日文庫・司馬遼太郎著「街道をゆく35 オランダ紀行」を読んでいます。
16世紀末にスペインから独立した人口200万人の小国ながらオランダは、当時のヨーロッパでの繁栄の中心であり、物事を組織的におこなうという今日のビジネス手法を編み出していた国でした。
17世紀から19世紀まで日本とオランダの交渉はまれなほどに充実していました。
日本にも多くの影響を与えて、オランダ語を語源とする日本語が、メス、マスト、ブリキ、ガラス、カバン、ランドセル・・・など多くの言葉があります。
本を読みながら、大学を卒業した年の夏に1ヶ月間ヨーロッパを一人旅してきたことを思い出していました。
旅はフランスのパリから始まり、ベルギー、オランダ、スウェーデン、ドイツ、スイス、イタリア、フランスに戻り最後はイギリスでした。
Gパン、オレンジとブルーのTシャツ、水色のジャケットに小さなバッグ、前もって買ったユーレイルパスを持って、帰りの飛行機に間に合うように行動する貧乏旅行でした。
コース・ホテル・宿泊日数は現地に着いてから決めていましたので、予定していた計画とかなり変わったりしました。
日本を立つ時は友人の友達三人と一緒でしたが、パリで過ごした後彼らはスペインへと向かいました。
そして旅行の後半になった頃、イタリア国内の鉄道のストでバスに乗り換えベニスに着いた時、その三人と小さな橋の上でばったり会いました。いろんなことがあるものです。
オランダでは、アムステルダムとヘンゲローに泊まりました。
アムステルダムには一泊してアムステルダム国立美術館、アンネ・フランクの家、半日観光バスで市内と風車を見て回りました。
とても陽気な運転手とガイドさんは観光場所について自由時間になると、歌を口ずさみ二人でダンスをしたりしていました。仕事をこよなく楽しんでいました。
ヘンゲローはアムステルダムから西ドイツの東西国境の町リューベックに向かう列車が途中で切り離され、夜の8時頃になんとかたどり着いた町でした。( 第二次大戦後のドイツは東西に分裂していました。)
駅のインフォーメーションは閉まっていて改札で泊まれる場所を尋ねると、タクシーの運転手に、そしてホテルの人にと親切に話が通じていました。
ホテルの1階はカフェ・レストランで、遠くに置いてあるテレビはテストパターンが延々と映されていました。
部屋が決まり石造りの別棟に案内され、ほっとしてベッドから見上げる夜空の星のきらめきが素晴らしく綺麗だったことを思い出します。
翌朝、朝食を食べてから駅まで向かう道はとても清々しくて住宅の間にぽつんとある、とんがり屋根の教会が朝日を浴びて輝いていました。
この町にもう一度行って、親切にしていただいた方々にお会いしたいと思っています。
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「06.読書と絵画鑑賞」カテゴリの記事
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