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自己紹介

  •  東京都北区赤羽生まれで、赤羽育ち、赤羽幼稚園、赤羽小学校に通いました。 現在、古い民家をリフォームしています。
     全国の赤羽・赤羽根の地名の訪問と、赤羽緑道ガーデンコートの庭を造っています。 夢は、本に囲まれた家に住みたい。

    赤羽緑道公園 ガーデン コート

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急性心筋梗塞闘病記 荒川の水辺が見える病室で 1

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 平成19年11月26日 (日 、東京北社会保険病院 (現東京北医療センター)を退院しました。4週間の入院でした。
 主治医の緒方信彦先生、看護師の皆さん、見舞いに来ていただいた方々、有難うございました。
 病室で書き綴っていた日記を書きます。


 


 平成19年10月29日 (月 ) 赤羽台の上り坂を自転車で急いでいました。ペダルをこぐ足に疲れを感じながら胸にいつもにはない圧迫感があります。
 用事を済まして家に戻ると胸に強い痛みと寒気がしてきて、立っていることも出来なくなりました。
 そして、赤羽台の東京北社会保険病院 (現東京北医療センター)に救急車で運ばれて、すぐに手術になりました。
 病名は急性心筋梗塞でした。
 
 手術は右手首と足のつけ根の動脈からカテーテルを通して、心臓の冠動脈の血栓を取り除き血管の太さを維持するステントを埋め込みます。
 局部麻酔なので手術中の様子は聞こえていました。手術は2時間余り、心臓の痛みが急に楽になってきました。うまくいっているようです。


 思い出してみると、ここ2ヶ月間は仕事に追われる毎日でした。
予定をこなしていくのに精一杯で、ストレスがかなり蓄積していたようです。


 主治医の緒方信彦先生、片山卓志先生、三澤仁先生有難うございました。
 先生方がいらっしゃらなければ、今私がこのようにすることも出来なかったでしょう。
 大変感謝しています。有難うございました。


 


 追伸・・・緒方信彦先生は、平成20年4月より東海大学医学部付属病院</a >に転勤されました。


 


 以下は急性心筋梗塞の闘病記です。
 荒川の水辺が見える病室で 1 入院当日の様子です。



 荒川の水辺が見える病室で 2 集中治療室にいた頃です。



 荒川の水辺が見える病室で 3 集中治療室から個室に移りました。



 荒川の水辺が見える病室で 4 一般個室に移りました。



 荒川の水辺が見える病室で 5 入院から3週間が経つ頃です。



 荒川の水辺が見える病室で 6 そろそろ退院となる頃です。



 カテーテル検査入院をしました 1退院して半年後、緒方信彦先生が移られた東海大学医学部付属病院で検査入院をしました。



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